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今日起きたよい出来事の100%が桜によって説明できるようだ。ふふふ。…なんてね。
PV13,000(σ・∀・)σゲッツ!!(←これは別によい出来事でもなんでもない。)
博士号購入
産経「博士号「購入」疑惑も 暴行の牧師 「被害者の会」調査 米国内では10万円」より
京都府八幡市の宗教法人「聖神中央教会」代表の永田保容疑者(61)=本名・金保=が逮捕された婦女暴行事件で、永田容疑者が有する「神学博士号」の取得経緯に不審な点が多いことが九日、元信者らの話で分かった。米国内には十万円ほどで博士号を購入できるビジネスが存在しているといい、関係者からは「購入した疑いもある」との声があがっている。
暴行被害者や家族らでつくる「被害者の会」でもこうした事実を把握しており、永田容疑者が通っていたとされる韓国の学校へ問い合わせるなどして、牧師資格とともに取得経緯の調査を進めている。
なんか犯罪扱いされてるな、博士号購入。
内田先生
他の何を措いても、いま自分はこのプレイをするために生まれてきたというような確信をもつことができれば、とりあえずご自身にとってベストのプレイができるはずです。『こんなところでテニスなんかしている場合じゃないんだけど・・・』というような気分のときにベストパフォーマンスができるはずありませんからね。
私はいろいろな人から「ここだけの話ですが…」という「密談」を持ちかけられる。もちろん、それは私がたいへんに口の堅い人間であることが学内ひろく知られているからである。ウチダにした話は外部に漏れない。これは本学の教職員のほとんどに周知されていることである。だが、その理由が、聞いた話を聞いたそばから忘れてしまうために、誰かに告げ口しようとしても、そのときにはもう何も思い出せないからなのであることをほとんどの人は知らない。
私は政治的信条の重みは語る人間がその信条にどこまで身体を賭けているかによってかたちづくられると思っている。簡単に言えば、税金の使い道について論じる人間は税金を払っていなくてはいけないということである。九条の改訂を求める人々は「戦争をしてもいい条件」をクリアーにすることをめざしている。その場合は、政論を語る人間は「戦争をしている自分」を勘定に入れる必要があるだろう。仮にその理路がロジカルにそれなりの説得力があるとしても、その人自身が戦場で人を殺し自分も殺される未来の風景をリアルに想像しえた上でそのことばを口にしているのでないならば、私はそのような政治的言説には耳を傾ける気はない。森喜朗はたぶん自分が戦場で殺される可能性について一度も想像しないままに憲法改定を論じている。「ときには血を流す必要がある」と熱く語る政治家が描いている「血」はたいていの場合彼自身の血ではない。