独学

ララビアータ:小阪修平氏を悼む (b:id:gachapinfan)

先達に乏しいところで、つまずかなくてもいいところに必ずつまずき、見通しにくい迷路を進むような学習では、学習効率は実際非常に低い事を、結局後から思い知ることになったものだが、かかる非効率な学習にも利点がないことはない。あらゆる可能的挫折をくまなく経験するので、いったん自分のものとした観念は、そのあらゆる側面に通暁する事になるので、それが以後どのような文脈で現われてきても、決して見間違う事がないのである。ただ、いったん袋小路に入り込んでしまうと、独力でそれを抜け出すのは容易ではない。さらに、ナルシシズムや自己満足の罠は、常に待ち構えているから、独学者の危険は、たいてい本人が気づいている以上に大きいものなのだ。